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平成31年元旦祭 宮昇殿

 

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吾妻さん

高森神社境内から西の方角の小高きお山に祀られている御祭神は弟橘媛命と云う女神であります この媛命は日本武尊の妃であって日本武尊が走水(横須賀市)から浦賀水道を経て上総(千葉県君津市)に渡り東征に行かれるとき暴風雨に襲われ船が進めなくなります この暴風を海神の怒りと思い鎮めるために日本武尊に代わって弟橘媛命が海に身を投じ龍神の生贄になったというのです 間もなく海は静まり上総に着くことができましたが、弟橘媛命を偲ぶ思いがなかなか消えず[君不去(キミサラズ)]と言葉を何度も繰り返します その言葉の変化が今の木更津と云う地名になったとか? 更に七日を経ると妃の亡骸が海岸に漂い着き武尊は悼惜の思いを持って亡骸を収め「我妻よ」と繰り返します この言葉も変化して「吾が妻(アガツマ)」となり「吾妻」となったと言われます 又流れ着いた櫛も亡骸と一緒に本納(橘樹神社・茂原市)と云う地に葬られた様です 上総国君津郡吾妻(木更津市)にある吾妻神社は媛の櫛を祀った社であると云われています 高森の小高きお山の頂に祀られているのは海を覗くためと云われています 又東(あずま)国にからみ吾妻山と称したとも思われます 創建時期は不詳でありますが恐らく高森神社と同年あたりと考えられます 吾妻入りと云う谷戸の呼び方もこの吾妻神社に因むと言われています 長年の風雨の影響から老朽化も進み傷みも酷いため止む無く建て替えを考え、役員の話し合いにより56年6月28日に基礎工事をし同年7月4日上棟式19日に改築完成となりました 工事に対し山の頂でもありましたので水 砂利 砂 木材など氏子の皆様の御協力と御理解を頂き完成となりました 当時は樹木も生い茂り石の祠を側面と背面を黒く塗られたトタンで囲み又四隅を番線で張った一坪くらいの建物で有りました。 昭和55年の下草刈り時に大風によって枝木が押し倒すようになっていた為に新築を考え、前と同じく石の祠を納める様に築きました。 

高森神社 宮司 吉田道光

春の新緑の時期、吾妻さんの小山は、色とりどりの木の芽が美しいです。


吾妻入から尾根伝いに参道が続いています。


山頂に近づくと鳥居と社殿が見えてきます。



毎年7月の第2日曜日に、氏子による草刈が執り行われます。